原野谷川と加茂荘 

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5月1日 きょうは加茂花菖蒲園のある、掛川市と遠州森町との境にある原里地区を流れる原野谷川(はらのやがわ)と加茂荘のことについて書いてみます。

とは言っても、私も地域の古老ではなく、これは社長から聞いたことで、それもうる覚えの部分もあるので、ちょっと申し訳ないのですが、お付き合い下さい。

この原野谷川という川は、掛川市で最も高い・・・・と言っても、標高832mの八高山に源を発し、加茂花菖蒲園のある掛川市原里地区を北から南に向かって流れ、さらに下って掛川の街中を流れる逆川(さかがわ)と合流し、そして袋井市で遠州森町を経て流れる太田川と合流し、太田川となって遠州灘に注いでいます。

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上の写真に橋が見えますが、これは第二東名の高架で、この高架に登ってみると、加茂花菖蒲園のあるこの地域が、原野谷川の流れによってつくられた谷であることがわかります。

古くはこの原野谷川は、現在の位置より写真右手の山に近いほう、下の写真のちょうど車の走っている道路あたりを流れていたそうです。写真中央の建物が、加茂花菖蒲園です。

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また昔はこの原野谷川が時に大雨で氾濫しそうになると、川の東の集落と西の集落で、相手方の堤をくずして、自分たちの集落に洪水が押し寄せないようにしたとかで、今はそんなことはないですが、江戸時代は川の東方と西方は仲が悪かったそうです。

大昔からこの谷をけずって、長い年月をかけて出来上がってきた地形なので、今でも地下では水が豊富で、たとえばこの上の写真の田んぼの下を数メートルも掘ると、砂利の層があり、井戸水が湧いてきます。

当園で水が豊富に流れているのも、この原野谷川による井戸水が、地下に豊富に流れているからです。

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そして加茂花菖蒲園の庄屋屋敷 加茂荘は、この原野谷川がけずった山の麓に、西側を向いて建てられています。山を背にしているため冬場は昼近くまで陽が当たらない寒い場所です。

安土桃山時代から、この地方の庄屋であった加茂家が、なぜこの地に居を構えたか。それは社長の話では、この加茂荘のある場所が、周囲の平野部よりわずかに高く、原野谷川が氾濫しても洪水の被害を免れることができたこと。

そしてもう一つは、この加茂荘の裏山から清水が絶えず流れ出ていたことによる。と話してくれました。

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今でもその清水は絶えず流れており、加茂荘の庄屋屋敷の裏庭の池に注いでいます。

きれいな清水の流れる場所は、生活する上でとても貴重でした。今でも加茂荘の周囲は、豊富な水があります。生活の基盤だった水へのあこがれ。その想いは社長の心の中で、加茂荘での花菖蒲という植物を経て、掛川や神戸などの花鳥園でも、豊富な水面を園内に取り入れた園の設計に繋がっているように思います。

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そして、その想いの源は、この原野谷川にあるように思います。

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